日々のあることないこと

日々のあることないこと・・・

孔子には及ばず

小学生の頃、我が家ではこういうルールがあった。

・キャスター付きの回転する椅子は座っちゃダメ

理由は明白。くそガキだった俺が、スーパーマン!とか言って、椅子に乗って部屋中を駆け回り、床が傷ついたことがあったからだ。 今の俺が使っているのはキャスター付きの椅子である。近頃テレワークでお世話になることが多い。 なぜこの話をしたかというと、今日、椅子をくるくるしながら考え事をしているときにふと、小学生の頃の記憶が蘇ったからである。 「昔、この椅子で目を回してから、歩いて向こうの壁タッチできるかどうか友達と競争したもんだなぁ・・・」 当時から三半規管には自信があった。 富士急ハイランドのアトラクションもあらかた乗れるし、コーヒーカップももう二度とお前とは乗りたくないと男子に言わしめるほどに回す輩だった。 時給が発生している中でこうした無益な思い出に思いを馳せながら、俗にいう”アラサー”のいい歳をした男が、一人、部屋で思い立ってしまった。

ちょっと椅子回転してみるか・・・。

衝突防止の為、椅子とデスクとの距離を取り、勢いよく回す。一回転。二回転。 油なんて挿していないのに、なかなか回る椅子だ。ただまだ目は回っていない。いけるじゃないか。 調子づいてきた。三回転、四、五、六・・・・・・・・・ 頭の中で、フィギュアスケートの解説をシミュレーションする余裕さえあった。トリプルアクセル、トリプルトーループ。気分はさながら羽生結弦だ。 もう何回転しただろう。全く問題ないではないか。やはり私の三半規管の強さは、長い年月を経ても健在であった。

さて、業務へ戻ろう。

しかし、画面を見つめていると、どうも様子がおかしい。 画面が左へ左へと傾いていく。私はとっさにPCを抑える。 すると次第に、体内で異変が起こる。胃の表裏を少しずつひっくり返されていくかのようなムカムカした感覚に陥る。 ・・・まずい・・・これは、気持ちが悪い。

猛烈な後悔と恥ずかしさ、そして追い討ちをかけるかのように、二日酔いに匹敵する気持ち悪さに襲われる。 一体俺は朝の11時に何をやってるんだ。

そして、この日記を書いているのは夜の18時。なぜ書いているか。 そう、6時間以上経過しているにもかかわらず、依然として胃はひっくり返ったままであり、PCは左左へと傾いていくままだからである。

孔子の有名な言葉に「30にして立つ(三十而立)」とある。 どうやらアラサーの私は、めまい及び三半規管の故障で、永遠に立つことができない気がする。いろんな意味で。

誹謗中傷

誹謗中傷をする奴はくそ暇人だ。大体ろくに働いていないニートだからほっとけばいい。 それを無視できないのはあんたの心が優しいからだ! どうか誹謗中傷以上に、温かい言葉を!この世に!

心温まる映画やドラマがこれだけ流行るのに、 どうして、それと同じくらいに誹謗中傷する人間がいるんだろうね。

夢中になること

何かに夢中になることは才能がいる。

小さい頃は、そんなこと考える余裕もなく夢中でセミを取りにいったし、フィギュアを集めた。 しかし大人になるにつれ、 「セミ取ってどうする。どうせ死ぬだけなのに」 「このフィギュアどこに置くんだ。いつ飽きるとも分からんのに。」 と頭の中で嘲笑気味のささやきが増えていく、つまらない人間になっていく自分がすぐそこにいることを感じる。

自分が小さい頃に持っていた真っ直ぐさというか、男らしさがなくなっていっている気がする。 いちいち考える。リスクとか懸念を考える。馬鹿みたいに真冬の水に飛び込んだりしない。 もちろんよく考えて行動することは大事だが、まずは飛び込んでみることもそれと同じくらい大事な気がする。 習うより慣れろではないが、今は、「習う」ことを重視しすぎている自分が嫌いだ。

質問する力

私は人に質問することが苦手だ。 分からないことがあってもそこそこの時間をかけて自分で考えてみるが、結局分からず思考がフリーズしてしまう。 そうして、「進み具合はどうですか?」と聞かれてようやく、「あっ、実はここが分からなくて・・・」という展開になるのを待っている。

周りは、分からなくなったら聞いてくれればいいですよと言ってくれる親切な方々ばかりなのだが、 「この程度の分からなさだったらまず自分で考えた方がいいよな」と妙な気遣いが働いてしまうのだ。 で、結局分からずじまいでフリーズしてしまう。質問自体が怖くなり、質問しようとするだけで心臓がバクバクしてくる。 そして、はぁ、どうせ俺なんてと自暴自棄な思考になっていく。そして、自然と人が自分の周囲から離れていく。 あの人はまぁ・・・ああいう性格なのね。という冷たい視線を感じながら。

一つ言い訳をさせてもらうと、以前新入社員の時、自分で考えてから質問しろ!と怒鳴られたことがある。 そこから、人に質問することへの恐怖が植え付けられた。愛嬌のある同期やそんなこと意にも介さぬ同期はスイスイ成長していったが、 妙なプライドで質問できない自分はどんどん差をつけられていく。 これではいかん、と意を決して質問してみると、「え、今更そこの質問?」と嘲笑され自信を失ってしまう悪循環。失敗が怖いんだろうなぁ。

コロナの影響で、今年の中頃から業務がテレワークとなった。ここでのやりとりは基本チャットだ。 ここで発見したのだが、自分は対面でなければ質問ができる。チャットで投げればいいから。 相手の顔色を伺う必要もないし、語調も判らぬ平坦な文章だから、相手が怒ってるのか、呆れているのか分からなくて、逆にいいのだ。 やはり直接の会話だと、質問以外で一言多くなる。 つまり、「今更そこですかぁ〜」という一言が発される。でもチャットではきっと、「今更そこかよ」とぶつぶつ呟かれながら、 チャット上では質問に対する回答だけが提示される。だから、こちらはチャット上の答えだけを享受でき、傷付かずに済む。 気にしすぎな性格なのは重重承知。

どうかお願いです、テレワークが続きますように。